茶の湯銘事典

『増補改訂 茶の湯銘事典』2021.10/23 22 世紀アート刊

2018/12/1 に文芸社より出した文庫本『茶の湯銘事典』は在庫切れとなり、増補改訂して電 子書籍として出させて頂きました。茶道具に付けられた固有名詞を、研究編にてその歴史的 意義を解明し、銘の命は語義ではなく語誌に命があると確信し事典にしたものです。茶の湯 の理解を深めるため、言葉の鑑賞のため、ぜひお読みください。サンプルを2題挙げます。 「響合」につきましては拙稿『美の位相』をお読みいただければ幸いです。

〈『茶の湯銘事典』より〉

【あけぼの】曙 アケボノ

① 明け方。空が明るんでくる頃。「明けほのか」の意。
② 春の風情のみどころとしての明け方。
季 ①無季 ②春
同・あさぼらけ ・東雲(しののめ)
類・暁 ・有明の月
連・雲居 ・東天紅
文・春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山際、すこし明かりて、むらさきだちたる雲の細くたなびきたる。 『枕草子』一より
歌・み吉野のたかねの桜ちりにけり嵐も白き春のあけぼの
『新古今集』後鳥羽院
・今はとてたのむの雁もうちわびぬおぼろ月夜のあけぼのの空
『新古今集』寂蓮


*漢作唐物茄子茶入。相阿弥から阿知子宗句、前田家へと伝えられた。
*彫三島茶碗。小堀大善書付。赤星家伝来。
*利休作茶杓。内箱薬能蓋は卒啄斎、蓋裏は覚々斎原叟筆。替筒江岑筆。
*ツバキの一種。一重、淡紅色の花。十一月から四月まで咲く。比較的育てやすいためかよく知られている茶花。
*《曙棗》朱漆香次形薄茶器。甲に鶴。胴に亀と松の黒絵がある。玄々斎が長男一如斎の点初めに好んだ。
*《曙椿》ツバキ科の茶花。淡紅色一重花。茶花にはその他、曙草・¦つつじ・¦菫などがある。

補 ②は『枕草子』以来定着した概念。朝のすがすがしさと春の暖かさが感じられる銘である。暁が夜の終わりとしての朝、明けてしまった朝を意味するのに対し、曙は一日の始まりとしての夜明けをいう。「夕暮」に対応する言葉で、もとは東雲(しののめ)の散文的語。後に歌語ともなった。《曙棗》は裏千家十一代家元玄々斎(1810-1877)の子のみ。長男一如斎の点て初めに好まれた香次型棗。一如斎は家を継ぐことなく、十七歳の若さで夭折した。一行・画賛の佳作を数点残す。【あかつき】暁 参照。

【すみだがは】隅田川 スミダガワ

① 東京都の北区、足立区、荒川区、墨田区を流れる川。荒川の支流。佃島を経て東京湾へ注ぐ。江戸時代より春の桜、夏の花火、冬の雪景色が親しまれてきた。
②『伊勢物語』九の舞台。東国へ下った男(在原業平)一行が都鳥という鳥の名を聞いて都に残してきた人を思い出し涙した所。武蔵国と下総国の中を流れる川とある。
③ 能の曲名。観世元雅作。四番目物。狂女物。角田川とも表記。梅若伝説を本とする。人買にさらわれた我が子梅若丸を尋ね母は京から東国までやってくる。 隅田川を渡る船中で船頭から人買に捨てられ病死した憐れな子の話を聞く。母はその子が梅若丸と悟りその子の墓を訪れる。 夜、人々の念仏に梅若丸の姿が現われ暁とともに消えていく。面はシテ=深井。
季 ①無季 ②冬 ③春
同・角田川 ・浅草川 ・大川
連・東下り ・都鳥 ・昔男 ・業平・川開き ・花火
文・なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国とのなかにいと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく遠くも来にけるかな、とわ びあへるに... 『伊勢物語』九より
詩・春のうららの隅田川上り下りの舟人が枴の雫も花と散る眺めを何にたとふべき 『花』武島羽
歌・名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと 『古今集』在原業平
・隅田河蓑きてくだす筏士の霞むあしたの雨をこそ知れ 『うけらが花』加藤千蔭


*《隅田川香合》染付型物香合。四方の形で蓋の対角線にはじきが付く。蓋に柳と屋形舟が描かれている。番付西四段十四位。
*《隅田川焼》文政の頃から骨董商 佐原鞠塢(きくう)によって向島の百華園に築かれた窯。隅田川の洲浜の土で製陶した楽焼風の軟陶。「隅田川」 「スミタ川」「角田川製」等の印があり明治に入ると「百華園」の印が用いられる。都鳥を象った都鳥香合などが知られている。 向島対岸の今戸における白井半七の作陶(今戸焼)の中に「寿ミ田川」の印で都鳥香合を焼いた物がある。広義にこれも含め隅田川焼ということもある。 ちなみに、都鳥はゆりかもめのこと。

補 陰暦三月十五日が悲劇の主梅若丸の忌日とされている。これを陽暦四月に改め、毎年墨田区の木母寺で梅若忌が行われている。『伊勢物語』『更級日記』に登場する隅田川は田舎の寂しい風景であるが、江戸時代に入ると川沿は次第に繁栄をみせる。享保十七年(1733)、五月の川開きは八代将軍徳川吉宗が前年の飢餓、疫病による死者を弔い、花火が打ち上げたという伝承がある。これが一般的に現代七月の隅田川花火大会の起源といわれているが、根拠に疑問が残る。文化元年、佐原(さはら)鞠塢(きくう)が造園した植物園、百花園は谷文晁・酒井抱一・太田南畝・村田晴海・大窪詩仏・加藤千蔭などの文人墨客が集った。近代に入って滝廉太郎作曲、武島羽衣作詞『花』は隅田川のイメージを更に明るいものとする。永井荷風の小説『すみだ川』など文芸の舞台としても絶えることはない。