折々の銘

『茶の湯銘事典』が事典であるのに対し、『折々の銘』は茶道具の銘に関するエッセイです。
茶の湯愛好家の会員制サイト「真ML茶の湯 Community」に連載して頂いたものです。2021年10月電子書籍にて22世紀アートより刊。サンプルを挙げておきます。

折々の銘 【寝物語】ねものがたり

司馬遼太郎の『街道をゆく』に気になる一節がありました。
寝ながら会話することを意味する「寝物語」が地名になっているというのです。
「ねものがたりの里 など、地名として、一見、ありうべきでなさそうに思えるが、しかし中世にも存在し、近世ではこの地名を知っていることが、京の茶人仲間では、いわば教養の範囲に属した。」同書 24 近江散歩 2 寝物語の里
その寝物語の里は美濃(岐阜県)と近江(滋賀県)の境にあます。司馬氏の同書に紹介されている通り、その村には川ともいえないほどの細い溝が流れ、昔はこの溝が美濃と近江の国境になっていたそうです。昔は家屋が溝を挟んで隣接し、この溝に隣接する民家は壁ひとつ隔てて夜中に会話ができたということです。
これが寝物語の里の名の由来です。
江戸時代の美濃と近江の国境は江戸を中心とした金本位制の経済圏と、大阪、京都を中心とした銀本位制の経済圏の境でもあったそうです。
『近江国與地志略』(1734 年)によれば、国境であるこの村の溝が両経済圏の境であるばかりか、方言の境でもあったということです。
経済圏、言語圏など現地に縄を張るような細密な区分けができるものなのか甚だ疑問ですが、事実はさておいて、そのような国境を挟みながら寝物語ができたという伝承は何とも面白い 話ですね。
では何故「近世ではこの地名を知っていることが、京の茶人仲間では、いわば教養の範囲に属した」のでしょうか。
そのヒントは司馬氏の同書にあります。司馬氏がかつて井口海仙宗匠(裏千家十四世淡々斎実弟)に「寝物語」という銘の茶杓を紹介されたことを思い出し「その茶杓は、一本は美濃 の竹でつくられ、一本は近江の竹でつくられていて、一つの筒におさめられている。それを『寝物語』と銘打ったことから名物になった、という。いつ、だれの作だったかは、忘れた。」と回想しています。
私の知る限り、その茶杓は裏千家四世仙叟宗室(1622-1697)作の茶杓と思われます。
『寝物語』という銘の面白さが京の茶人たちの心を捉え評判となり、銘の根拠、つまり地名を知らなければ話題についていけなかったからこそ、「いわば教養の範囲に属した」のではないでしょうか。
この里は以前あった寺の名から「長久寺村」またの名を「丈くらべの里」ともいったそうです。「丈くらべの里」の名は、周りの山々が背丈を比べているようだからとか、周辺の寺の 僧侶らが碩学を争ったことを「己がたけくらべ」といったとか...。確かな由来は分かっていません。
もしも仙叟の二本の茶杓に因み「竹比べ」と名が付いたのであれば、実に面白い話となるのですが、この説は私の思い付きでしかなく、根拠は茶杓の先ほどもありません。

折々の銘 【阿修羅】あしゆら

映画『太陽がいっぱい』『ティファニーで朝食を』には共通点があるようです。
資産家の友人を殺害し当人になりすます陰気な男、愛など信じない娼婦というダーティーな主人公を、アラン=ドロン、オードリー=ヘップバーンという世紀の美男、美女が演じることにより原作(小説)を離れ、罪がおぞましくも、悪が憎らしくもならない、感触の良い作品に仕立てられているのです。
悪行、愚行をこのように美しく演じることができるのは、そもそもこの世の善と悪は、さほどかけ離れてはいないことを物語っているのではないでしょうか。
インド神話に登場する阿修羅(Asura)は、干ばつをもたらす太陽神、好戦的な神として悪名を轟かせています。わけても帝釈天との戦いは「修羅場」という言葉を生むほど凄まじいものでした。六道のひとつ「修羅道」(争いの絶えない世界)も同根からの名称です。興味深いことに、悪神であるはずの阿修羅は地域によっては恵みをもたらす太陽神であり、仏に帰依しては仏法を護る天部にも加えられ、必ずしも悪を貫いているわけではないのです。善悪の曖昧な神は阿修羅に限らず訶梨帝母[カリテイモ]など数例知るところです。訶梨帝母(=鬼子母神)は子供を守る母性の神格ですが、その起源は産んだ我が子を次々と食ってしまう恐ろしい鬼神なのです。
訶梨帝母のこの二面性に母性の本質があると指摘したのは、ユング学者の河合隼雄氏(1928-2007)でした。
氏によれば母性は子育ての根幹になる愛情ですが、世話をやき過ぎると子は自分でできることすら行う機会を失います。そうした過保護は子の自立を妨げ、手足をもぎ食ってしまうに等しいというのです。
阿修羅は怒りを神格化した神です。怒りは暴力につながりやすく、阿修羅が悪神に属することは誰しもが納得するところでしょう。しかし、怒りは新しい時代を創造する契機になることもあるようです。
1789 年フランス市民によるバスチーユ牢獄襲撃事件は暴動と非難すべきなのか、市民革命と賞賛すべきなのか。
圧政に対する民衆の怒りが社会変革の契機となった例は数えるに暇がありません。アジアの神話に登場する悪神は決して滅ぼすべきものではありません。悪とは無尽蔵の活力を意味し、害ともなれば益をももたらすのです。
子を食う鬼神 訶梨帝母、怒りの神 阿修羅が善神にもなりえる理由がここにあります。どうやら善と悪は対義語でありながら、交錯しやすい性質のようです。両者はそれほどかけ離れた存在ではないからこそ、人は常に反省と修正を繰り返す必要があるのでしょう。悪いと知りながらやってしまう悪と、良い事と信じやってしまう悪では、後者の方が被害甚大でしょう。多くの戦争や、オウム事件などその例と云えます。
一休宗純の筆でおなじみの「諸悪莫作 衆善奉行」(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう)という偈は「悪いことはしてはいけない 善いことをしなさい」という意味ですが、簡単なようでなかなか難しいことのようです。