児童自立支援施設

神様がこぼしたお茶

私が指導しています児童自立支援施設での卒業茶会が今年も無事終わりました。
不幸にも犯罪に関わりここに送られてきた若者は寮生活をおくりながら施設内の中学校で義務教育を果たします。そしてほとんどの生徒は中学卒業にともなって施設を出るのです。
年度最後の行事はお世話になった先生や保護者をお招きしての卒業茶会です。
毎年様々なドラマが起こる茶会ですが、今年の茶会の一こまをご紹介しましょう。

美紀(仮名)は一年前にここに来て以来、熱心に茶の湯の稽古に励んできました。
高校進学も決まり、いよいよ今月家庭に戻ることになっています。
施設を出てからの生活がちょっぴり不安な十五歳です。
卒業茶会は卒業生の縁者を客に招待し、一人ひとり順にお点前を披露させ進行していきます。
美紀の客には児童相談所の先生とお母様がおみえになりました。
茶会が始まって一時間後、ついに彼女の番がまわってきました。
茶道口(点前座の入口)でのお辞儀はドキドキしながらも、稽古どおりゆっくりと頭を上げ、点前は坦々と進んでいきました。
一碗目を点て、二碗目にお茶を入れようとしたそのとき、左手で平棗(茶を入れる蓋物の容器)の持ち方が浅く平棗の実と蓋が離れ、畳に茶を撒いてしまいました。平棗の実は裏返しに膝前に転がり、蓋は左手に持たれたまま彼女の手とともに硬直していました。
ピンクの着物の膝の部分は緑色の霞模様となり、点前畳は一瞬にして苔が広がったような風情となってしまいました。
半東(給仕係)が棗を替え、何が何だかわからないまま、彼女は何とか二碗目をお出しすることができました。建水(水を捨てる器)を下げた水屋で、同僚たちは無言で彼女の着物をはたきました。そのときの彼女の涙はこらえるにはあまりに粒が大きすぎたようです。
しかし、再び気持ちをとりなおし涙を抑えて、荒野と化した点前座に挑むかのように向かいました。茶碗を引いて茶道口で礼をして襖を閉め切るまでの間は、彼女にとって息を止めるより苦しく、時間の感覚を失ったことでしょう。
襖を閉めた後の彼女の涙は遠慮を知りませんでした。
私はすぐに点前座の乱れを始末し、あとは何事もなかったかのように次の点前番が進行していきました。
美紀は稽古でも一度もこのような失敗はしたことがありません。
お母様や先生方の前で落ち着いた自分の姿を認めてもらおうと、懸命に稽古を重ねていただけに、美紀の悔しさは想像するに余りあります。

茶会終了後、片付けもほぼ終わりかけた頃、案の定、彼女の落ち込んだ声が私の背後からしてきました

美紀「先生、すいませんでした。」
私「えっ、何が。」
美紀「お茶こぼしちゃいまして…。」
私「ああ、あれ。あのお茶をこぼしたのは君じゃないよ。」
美紀「??……?」
私「神様だよ。」
美紀「??a*?⇒?」
私「神様が君を試したんだよ。卒業試験ってところかな。」
「ここに来た頃の自分を思い出してごらん。あの頃の美紀ちゃんだったら最後までお茶を点てたかい。」
美紀「いやー、お茶碗ぶん投げてどっかへ行っちゃったと思う。」
私「だろうなぁ。でも、今日の君は逃げずに最後まで点前をした。お母様や先生方の前で見事に合格したんだよ。
おめでとう。」

彼女の人生にはこれからも神様に試されることがありそうですね。

居るべき人間

私が茶道を指導させて頂いている児童自立支援施設の卒業式・卒業茶会について書かせて戴けますでしょうか。
中学三年生の恵子(仮名)は先日の卒業式にて「別れの言葉」を読み上げました。彼女のスピーチは実に感動的でした。
不幸にも彼女は望まれて生れてきた訳ではないようです。アジア系ハーフの彼女は身寄りもなく、愛を知る前に大人のエゴに翻弄され、常に自分の居場所に苦しみながら生きてきました。

「「自分はこの世に居なくていい人間だ」と思い込み、大人不信に陥り、世の中を憎み、いつの間にか犯罪に関わりこの施設に来ることになりました。
彼女のスピーチによれば、この施設にきて、徐々に信じられる大人もいることがわかったそうです。
そして奉仕活動を通じて他人に感謝される喜びを知ったとき「私はこの世に居てもいい人間なのだ」という実感を初めて得たということです。
スピーチの後半、彼女は何度も言葉をつまらせ、ついにこらえ切れず言葉が涙に代わってしまいました。このとき会場にいた大勢の人々も涙を共にしました。

式を終え、寮舎に戻った恵子は何故か二週間前に行った修学旅行の土産の菓子を私に差し出してくれました。
「えっ、私に?(わずかなお小遣いだろうに)いいの?」と遠慮がちにお礼をいって受け取りましたが、「なぜ私に」の訳に気がついたのは翌日の卒業茶会のときでした。

卒業茶会当日は午前中着物の着付け、午後から茶会開始です。着付けをする寮舎と茶会会場の棟は二百メートル近くも離れています。
空は今にも雨が降りだしそうな怪しい雲ゆきです。降りだせば慣れない着物ですので、会場に着くまで大騒ぎになるでしょう。
着付けを終え茶室に一番乗りしてきた恵子に「全員茶室に着くまで降らなければいいね」と話しかけました。すると、彼女は「お客さんが帰られるまで降らないのがもっといいです」と答えました。
この何気ない言葉は、彼女のすばらしい人柄を如実に表しています。
実は彼女は、この日点前をする卒業生の中で唯一身寄りがなく、彼女のお客 様は誰もこないのです。彼女はそんな自分の境遇を充分承知しています。
彼女が天候を気遣った「お客さん」とは同僚の生徒の保護者のことなのです。私にくれた修学旅行の土産は、私のほか渡す人がいなかったからでしょう。

他の生徒は身内の方々の前で点前をしましたが、彼女の点前番には寮の先生方で客畳を埋めました。それでも、嬉しそうにしっかりとした点前を見せてくれた彼女にはたくましさすら感じられました。
彼女は今後、昼間働き、夜定時制高校に通います。がんばってほしい、幸せをつかんでほしい。そう祈るしか私にできることはありません。

翌日、自宅で彼女からもらったお土産の菓子を口にしながら、私は彼女と交わした会話や稽古の場面を思いだしていました
彼女は「居てもいい人間」?とんでもない。私にとって「居てほしい人」であり、かけがえのない「この世に居るべき人間」です。